「P」

 わたしがパーマン事件の犯人だとは誰も気づいていまい。おかげで5人目の殺害も無事完了。わたしは誰からも正体を暴かれることもなく、捕まることもなく、月に一度程度の殺人を行う。しゃくしゃく。人に身体にナイフを突き立てるときの音は軽い。軽いけれど、手にはかなりの衝撃が伝わってきて、二、三日は腕の筋肉というか、筋に違和感がある。でも違和感も痛みも、そのうちに消えるし、そんなものはすぐに慣れる。
 世間でも事件のことは話題になっている。愉快犯だと見なされているようだけれど、それはまあ確かにそうだ。楽しくなければ、さすがにやっていない。何人も目撃者が現れたおかげで、パーマンのことは広く知れ渡っている。テレビではいろんなコメンテーターが事件や犯人の動機について見解を述べるけれど、どれが正解なのか、本人のわたしにもわからない。目的や意図を言葉にできるのだったら、そもそもそんな行為をしないだろう。パーマンの格好をして、人を刺す。それだけだ。次の事件もその次の事件も同様だ。目的化しているわけでもないし、いつでもやめられると思っている。だけどそれがいつなのかはわたしにはわからない。あるいはひょっとしたら捕まるかもしれない、とも思っている。その辺の楽観視と慎重な姿勢のバランス。もし、今のところ捕まっていない理由があるのだとしたら、そのおかげなんだと思う。
 わたしは18歳の大学生で、パーマンからはあまりにも遠く離れている。よりのびのびと人を殺せるのはそうしたことと関係があるのだろう。目撃者の誰もが、上背のある男がパーマンの格好で逃げ去った、と証言している。確かにわたしは女子にしては背が高いかもしれないけれど、170センチには全然届かないし、殺すときはヒールなんて履かない。
わたしはパトロールに出かけるときは、普通にレディースサイズのVANSを履く。その上に短パンに白いシャツを着て、胸にはパーマンバッジをくっつける。マントを背負って、頭には紺色のヘルメットを被る。まさに、パー着、という状態だ。顔の半分はヘルメットで覆われているとは言え、どうやっても大人の男には見えないと思う。目撃情報なんてものが、いかにあてにならないのか、よくわかる。非常時には、イメージがすべてを支配するのだ。目撃者は実際には何も見ていない。見たいものを見ているだけだ。わたしはパーマンになって、そのことを学んだ。
 パーマンセットは手作りだ。再現度はかなり高い。調子に乗って、2号から4号まで、それにバードマンタイプも用意したけれど、1号以外で人を殺すとなると、いよいよ足がつきそうでもあるので、今のところは一応自重している。だけど、本当にやりたくなったらやるかもしれない。ブービーの格好をしてパトロールに出かけたとき、目撃情報がどうなるのか、考えただけでもぞくぞくする。
 
 わたしのパーマンについての知識はアニメやコミックによるものではない。再放送とか兄弟や親せきの漫画を借りたとかでもない。そうだったら、わたしがパーマン事件の犯人だとばれる可能性は高くなるかもしれないけれど、わたしは、何故か、パーマンの知識を持っている。本当に、子供のころ、漫画で読んだとか、誰かから教えてもらったとか、そういう記憶がないのだ。すでにパーマンは過去のものだし、わたしの年代からはあまりに時代が遠すぎる。そしてわたしの生活からも、あまりに遠く離れている。
 それでもわたしはパーマンのことをよく知っている。気づいたら、知っていた。これは誰かの記憶なのだろうか。でもパーマン以外に関しては、ちゃんとわたし自身の記憶で、それについての自覚はある。とにかく、わたしはパーマンの話の内容をしっかり理解していて、コミックスだったらどの巻に、アニメだったら第何話に、どのようなエピソードが入っているのかも覚えている。わたしはいろんなパーマンの話が好きだ。星野スミレちゃんでもあるパー子が抱く、ミツオに対する恋心なんて、とても感動してしまう。パー子には見向きもしれくれないミツオが、星野スミレには入れ上げているのなんて、ものすごく切ない。F先生の漫画で、きゅんとなるのって、ものすごくすてきだ。
そしてわたしは、ドラえもんについてはちゃんと自分で漫画を読んでいる。だからドラえもん内で、星野スミレちゃんが出てくる回があって、そこで少し大人になったスミレちゃんが、すごく遠いところに行ってしまった好きな人のことをまだ想っている、みたいなエピソードも大好きだ。二つの漫画がリンクして、その結びつきに、きゅんとなる。わたしは実際の記憶と並行して、パーマンのことも同じように知っている。その知識は、ちゃんとした手触りを持って、わたしの頭の中に存在する。だからこそ、ドラえもんとパーマンの間でのエピソードのつながりに、胸がときめくのだ。集合的無意識って、多分こういうことではないはずだ、と思うけれど、わたしの記憶は誰かの記憶とつながっている。

 わたしにはパーマンとは結びつかない外見や年齢や環境がある。もちろん、アリバイなんかはないし、わたしの部屋に今警察が飛び込んできて、捜査されたらパーマンセットの数々を発見されて、一発で捕まってしまうだろう。その前提で調べられたなら、凶器のナイフだってすぐに見つかる。わたしは警察官たちの前で、パーマンセットをパー着して、目撃者に改めて確認させられるのかもしれない。そうなったらなったで、見当違いなことを言っていた目撃者も、こいつです、こいつです! 間違いないです! なんてことを恥ずかしげもなく口にするかもしれない。それはあまりにも屈辱的だ。やっぱり捕まるのは気が重い。慎重にいこう、って思う。
 そんなわけで、わたしは規定通り、1号のパーマンセットでしか人を殺さない。3号の衣装も気に入っているのだけれど、今のところ披露するチャンスはなさそうだ。部屋の中で、鏡に映ったパー子を一人で鑑賞することしかできない。パー子のときの靴だって用意してあるし、ヘルメットからのぞくまつ毛の再現だってかなりリアルだと思う。わたしはとても手先が器用なのだ。
 夜、わたしは衝動的に、パーマン1号になってパトロールする。たいてい月に一度くらいしか出歩かない。だけどパトロール中、必ず、わたしは人を殺す。年齢や性別はさまざまだ。そこにこだわりはない。しゃくしゃく、とナイフを立てる。わたしは元から人を刺したかったわけでもないし、そんな鬱屈した思いや衝動を抱えていたわけではなかった。人を殺したい、というような感情や欲望は、パーマンの記憶があることに気づいてから生まれたものだ。わたしはパーマンセットを作り、ナイフを用意して、そして人を刺すようになった。楽しいけれど、性的に興奮しているわけでもない。刺した人を見下ろし、パワッチ、と言って立ち去る。その声はひそやかなものなので、誰にも、多分、死が差し迫った被害者にも聞こえない。わたしは、パワッチ、と繰り返す。そして飛ばずにアスファルトの道路を駆ける。
たいてい誰かが、人を殺したあと、現場を離れて町を走るわたしを見ている。だけどその目撃情報はわたしには結びつかない。目撃者はいつか、わたしのことをわたしだとわかるのだろうか。わたしを突き止めるような証言を口にするのだろうか。その可能性はもちろんゼロではない。これまでもそうだったし、殺人を重ねるごとに数字は上がっていく。でもまだわたしは捕まっていない。
わたしは自分で読んだわけでもないパーマンの第23話のことを考えながら、その話をまるで漫画を読むみたいに記憶を再生させながら、家まで走る。パワッチ、パワッチ、と口にしながら、たいして速くもないスピードで走る。

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