「pry」

何ということだ。
部屋中にコンタクトレンズが落ちている。
部屋一面に、ぎっしりコンタクトレンズが落ちている。
足の踏み場もない。
部屋に入ることができない。
玄関で立ち尽くす。
ドラえもんならコンタクトレンズを踏まずに歩けるかも。
ドラえもんは少しだけ浮いていると聞いたことがある。
だから裸足で外から家の中に入ってもママに怒られないのだと。
そんなことを考えていると、青年が申し訳なさそうにそーっとドアを開けて顔を出した。

「あのー、コンタクトレンズ落としたんですけど……」

ここで?!ここでコンタクトレンズ落としたの?いつ入ったんだよ!
犯罪じゃねーか!お前犯人じゃねーか!犯人が犯行現場に戻ってくるって、セオリー通りか!
っていうかどんだけ落としたんだよ!コンタクトレンズをよ!
予備か?予備をこれだけ持ち歩いてたか?バカか?んでその予備も全部落としたか?バカか?
あ、あれか?両目にこれ全部つけてたか?何枚か重ねればよく見える的な?1枚なら見えにくくても何枚も重ねるとよく見える的な?
どんだけ目悪いんだよ!っつーかそんなシステムねぇわ!何枚か重ねればよく見える的システムとかねぇわ!
それともあれか、お前には目がたくさんあんのか?体中に目だらけか?怖ぇわ!
妖怪か!妖怪のくせに目が悪いて!現代っ子か!妖怪で現代っ子て!水木しげるの孫か!NHK朝の連続テレビ小説か!

「あのー、コンタクトレンズ落としたんですけど……」
何も言わずにただみつめている僕に青年がもう一度言う。

お前の落としたのはこの手前のコンタクトレンズか?ちがうか。
それではそのとなりに落ちているコンタクトレンズか?ちがうか。
お前は正直者だな。
よし、お前にはこのコンタクトレンズを全部やろう。
これからも正直に生きるのだぞ。
そして次からは斧を落すのだぞ。

「あのー、コンタクトレンズ……」

ありません。
うちにはコンタクトレンズなんかありません。
じゃあ床一面に広がっているこれは何かって?
……だまし画です。

「あ、あった」

青年はそうつぶやくと、無言でたたずんでいるだけの僕を無視して部屋の中に入っていった。
コンタクトレンズを踏み潰しながら。
なんともいえない音を立ててコンタクトレンズが割れる。
pry、pry、pry、pry
部屋の真ん中あたりで1つコンタクトレンズを拾うと、ひょいと右目に入れた。
右目をパチパチさせながら、またコンタクトレンズを踏み潰しながら玄関に戻ってくる。
pry、pry、pry、pry
行くときに踏んだところをなぞるように戻ってくればコンタクトレンズの被害が少なくてすむのに。

「ありがとうございました」

青年は一言も発しなかった僕を不思議そうに眺めながら部屋を出て行った。
コンタクトレンズ、ハードなんだね。
ソフトは割れないんだよね?たぶん。
それにしても、わかるもんかね、自分のコンタクトレンズ。
見ただけで。
わかるか。
自分のだし。
案外適当なんじゃねーの?
そうね。
あぁ、そうだわ。
適当だわあいつ。
…よし、とりあえず部屋に入ろう。
今なら入れる。
一歩踏み出す。
pry
例の音。
その音をかき消すように、おばさんの声が部屋に近づいてきた。

「あれ~?ないわぁ………この辺だったと思うんだけど…あれぇ……どこに落したのかなぁ」

僕は、一歩戻って、ゆっくりと鍵を閉めた。

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