「アザはどこにあるのか」
僕にだけアザがなかった
兄と姉にはあるのに、そのアザは僕にはなかった
肩甲骨辺りにある北海道に似たアザが確実に兄弟である事を証していた
そのアザが僕にはない
僕は母の手を強く握った
夕焼けが帰路を照らす中、買い物籠をもった母はそんな僕にどうしたのか訪ねてくる
どうしたの?
末っ子でまだ小さい僕は、アザが無い事が親にバレて、家族でないとされるのが怖くて言えなかった
なんでもないと首をふった僕に、母親は優しい視線を投げかけてくれた
それが少し嬉しくもあり、哀しくもあった
僕が本当の子供ではない事を知ったら母はなんて思うだろう
追い出されるのか、あるいはさぎざいで訴えられるのか
社会の仕組みがなんとなくわかりかけたばかりの僕には、その全てが恐ろしく思えた
数時間後
夕飯時に父親が帰ってきた
父親はペンキ屋で寡黙な人だった
父親が寡黙なせいか、我が家は大して会話のある方ではなかったと今になって思う
カチャカチャと食器の音だけが鳴り、しばらくして父親が席を立つ
爪楊枝を歯にあてがいながら、特に何を話すわけでもなく風呂へと向かう
別父親が嫌いというわけではないし、遠慮していたわけでもないのだろうけども、父親が風呂に向かうと少し会話が弾み始める
しばらくして、父親が風呂から上がってくると、僕が母と風呂に入る
父親の後に風呂に入ると、必ず風呂には爪楊枝が浮いている
母はそれが嫌だと言って、風呂に浮いた爪楊枝をかたずける
母がかたずけてしまうので、おそらく兄と姉は爪楊枝については知らない
それが、もしかしたらこの家の子供ではないかもしれない僕にとっては非常に嬉しかった
僕と母しか知らないであろう父親の秘密は、なんとなく僕と母と父の繋がりより太いものとしてくれた
ある日
知らない女の人が我が家を訪ねてきた
裸電球が障子に映し出す母の影は、確実に泣いていた
帰りがけにチラっとみた女の人の背中には北海道のアザがあった
今でいうキャミソールのような服で来た若い女の人は、自慢気に北海道を揺らしながら帰っていった
よくわからないが、その日から僕と母は別の家で暮らす事になった
それから十年後
父親がもうすぐ死ぬという連絡が姉から来た
母は勿論行きたがらなかったし、僕も行くつもりはなかったのだが、母の強い勧めで行く事にした
今にも息絶えそうな父親をみて、僕は特別な感情はわかなかった
母が苦労した事も知ってるし、それが父親のせいだという事もなんとなくわかる
でも、僕はずっと幸せだったのでなんとも思わなかった
家に帰り、母にその日の見舞いの事を話した
一言
『元気そうだったよ』
と言った
おむつを替えながら母は一言
『そう』
と言った
姉と、姉と同じ北海道のアザを持つ女にもてなして貰った僕は、家でご飯は食べずにそのまま風呂に入った
肩まで浸かり、色んな事を考えた
人との繋がり、距離感
また会おうと言ってもう会わない人、その人にまた会おうと言っている時に実は既にわかってる、もう会わないだろうなという事を
もう会わない人、死んだ人と変わらない人
もう死んだと思っていた人
父親が死ぬというのに、なんの感情もわかないのは、もう会わないと思っていたから、既に死んだ人となっていたんだろうなと思った
肩まで浸かっていたお湯は、いつの間にか鼻の下まで来ていた
お湯のニオイ、なつかしいお湯のニオイ
するとそこに、目の前に一本の爪楊枝が流れてきた
流れる爪楊枝を見ながら
自分も父親の子だ知り、そのままブクブクと音を立てながら風呂に潜った
泣いても泣いていなくても嫌だったから