『ハートの断面図』
今年の二月で私は54歳になった
人生は割と順風満帆で、サラリーマンから始めてノウハウを学び、大きくはないが会社もった
若くして結婚し、早い時期に子供を作り
その子供も結婚し、既に子供がいる
世の中で言われている『幸せ』というもののほとんどを、若くして経験する事ができた
幼い頃から特に何も努力しなくてすんだ
特に金持ちというわけでもないのだが、全ての事をそれなりにしていると、人生なんてそれなりに生きてゆけるものだ
特に日本なんかは、問題になる事は多いが、かなりいい環境で生きて行ける方だと私は思う
勿論異論を唱える人の方が多いが、あくまで欲を捨てて、全て普通に生きて来た私の意見だ
孫に語る武勇伝が無い以外、私には悩み事などない
全てうまくいくシステムなのだ
私は54歳の誕生日を迎え、仕事でも一線を退く事にした
会社は、社長である私がいなくてもうまく回るし
会長の位置につけば働かなくてもお金は入ってくる
何も悪い事はないからだ
そんな私の唯一の楽しみは『躰の角質を穫る』事だ
全てが普通な私にとっては、唯一異様な趣味なのかもしれない
穏やかに晴れた日に、この縁側で季節の香りに触れながら、カッターや爪切りで躰の角質をそぎ落としていく
そしてまた角質が貯まるのを待つ
お風呂に入り、皮膚が白くなった時がその時だ
その硬くなった皮膚をまたそぎ落とす
それくらいしか私には楽しみがなかった
ある日の事だった
いつもの道をいつも通り散歩していると、一人の占い師の老婆に出会った
占い師は私を呼び止め、こう言った
『一度ハートの断面図を見た方がいい』
その一言を聞いて、私は何も感じずそのまま立ち去ったので、その老婆が何を言いたかったのはかはわからないが、家についてから異様に気になった
どこかで『孫に語る武勇伝が欲しい』と思っていたのかもしれない
『ハートの断面図』
私は久しぶりに開けてみる事にした
躰用のドライバーで胸を開け、俗に『ハート』と呼ばれている部分を取り出した
『ハート』は薄い緑の色合いで、鼓動を感じさせている
思えばハートを取り出すのは実に45年ぶりだ
学校の授業で取り出して以来になる
その時同級生達は、先生に『ハートは切ってはいけません、それを見てしまうと廃人になってしまうかもしれないからです』と言われていたのにも関わらず、遊び半分でハートを切り、断面を見て、自分は『お金』と書かれているだの、自分は『サッカーボール』と書かれているだの騒いでいた事をよく覚えている
とにかく
私は『ハート』を思い切って切った
縦に
思いっきり
すると断面には、達筆でこう書かれていた
『角質』
私はなんてくだらない人生を送って来たのだろうと後悔した