「トロツキーが13人」
午後の時間のほとんどをロシア人たちとの面接に費やした。真夏だというのに、13人のロシア人はそろいもそろって、もこもことした帽子をかぶってきた。その日会った全員の名前がトロツキーだった。
一人ずつ順々に面接をしていたのだが、最初はただ唖然としていたわたしも徐々に苛立ってきた。申し合わせなしでトロツキーばかりが集まるなんて考えられない。今やあらゆる革命は終わっているのだ。どいつもソファが珍しいのか、面接中にも関わらず、座り心地を確かめるように腰をぐねぐねと動かす。同時にそっと手のひらで表面をなでてもいる。わたしが、あのトロツキーと関係があるのかね、と尋ねると、どのトロツキーも、ええ、まあ、ともじもじとした表情で答える。ほとんど似たようなことの繰り返しで、それぞれの面接の前半は終わる。
ロシア人のドキュメントを撮りたかった。彼らの世界征服願望について、日々の生活から追いたかった。ロシア人の魂には、世界を征服したい、という根源的な欲求が埋め込まれている。そのことにわたしは5年前に気がつき、秘密裏にプロジェクトをスタートさせた。
エージェントには4カ月も前からロシア人を用意するように頼んでいた。わたしの目的を明かさずに、ただ、純然たるロシア人を集めて欲しい、という注文だった。それなのに来たのは、これみよがしにもこもこ帽をかぶり、自分の名前がトロツキーだと平然と言ってのける男たちばかり。中には明らかにモンゴル人だろうという顔のやつもいた。わたしは5人目の面接中に、エージェントをクビにした。
自己紹介をさせたあと、いくつか同じような質問をした。ロシア人たちの答えはそれぞれに違ってはいたが、ロシア人らしくはない、という点ではどれも似たりよったりだった。中には日露戦争のことを熱く語り、あのときのジャパン、すごかったですねえ、と媚を売るような発言をするやつだっていた。もちろんわたしは、少しもうれしくなかった。
自称トロツキーたちは必死にアピールする。わたしと、隣にいる秘書兼通訳のジョアンナに向けて。ジョアンナはカナダ人だがロシア語に長けている。ジョアンナがロシア人たちの言葉をわたしに伝える。どういうわけか面接の途中からジョアンナはひどくおびえていた。それがわたしに対してなのかロシア人たちになのかはわからない。いつもは冷静なジョアンナの唇が、しゃべる前から、ふるふると震えている。面接の終わりでは、とんちんかんなことばかり答えるようになる。それはトロツキーのせいも半分はあるだろうが、ジョアンナの訳した言葉そのものがどこかおかしい。ジョアンナはところどころで、フランス語と英語も交えて訳す。しかしわたしはそのどちらもよくわからない。ジョアンナは唇を震わせながら、言葉を探す。見つけ出すのにも時間がかかる。トロツキーはジョアンナのことをとてもいやらしい目で見ている。スカートに隠れた太腿の奥を露骨にじっと見つめるやつだっていた。彼らは意欲には溢れていたが、そもそも何の目的で集められたのかもわかっていないのだ。
つまるところ、面接はろくでもなかった。午後の時間すべてが無駄に終わってしまった。無駄な言葉のやりとりは、ひどく不安定な通訳を介することもあって、わたしをぐったりと疲弊させた。できれば一週間近く、事務所を閉めて仕事を休みたかった。
しかしわたしはこの一回目の面接の失敗によって、ロシア人のDNAに植えこまれている世界征服願望を明らかにするもくろみを断念しない。それほどたやすく諦めていいようなプロジェクトではないのだ。まずはこの一週間で、新しいエージェントを探すことにしよう。
トロツキーたちはそろいもそろって手土産にピロシキセットを持ってきた。ロシア人でなくても家庭で作れるキットだ。面接したのは13人なので、ピロシキセットは13個もある。そのうちの7個分をジョアンナに持たせた。ジョアンナは事務所から出るときに、わたしに向けて中指を立てた。それでもピロシキセットを持ち帰ることは忘れない。ジョアンナは最後までとんちんかんだった。おかげでわたしは事務所を一週間休むことを伝え忘れてしまった。
家に帰ってピロシキを作った。ピロシキセットなんて言ってもおままごとの延長のようなキットが入っているだけだと思っていたが、完成させるにはかなり手間がかかるようだ。わたしは説明書を丹念に読みこみながら、ピロシキを作る。
まずは粉にイースト菌を混ぜて生地をやわらかくなるまでこねる。その生地が発酵するのを30分近く待たなければならない。ただ待つだけでも一苦労だ。ようやく準備ができると生地を伸ばして、パウチから出したたっぷりの野菜と肉を包んだ。半月型に形を整えたものを次々に油で揚げる。油の中でピロシキが沈んで、ゆっくりと浮かんでくる。それを専用のピロシキ掬いで拾い上げる。そしてこれも専用のシートの上に乗せて、余分な油を落とす。これでピロシキの完成だ。でき上がったときには、全身が汗びっしょりだった。夏の真っ盛りに作る料理ではないようだ。これでは調理と言うよりも、ただの労働だ。
まだまだピロシキセットは残っている。あと5日もピロシキを作って食べなくてはならない。ピロシキパーティーを開いてしまおうか。しかし極力、ロシアとの関わりを誰かに知られたくなかった。わたしは気力を振り絞って、一人で初日のピロシキを口にする。自作のピロシキは揚げたてのせいもあってか、味は悪くなかった。それどころか、かなりうまかった。食感も味付けもわたしの舌に合っている。単純そうに見えて、なかなか奥が深い味わいだった。次々と皿の上のピロシキを平らげる。くたびれた身体が少しずつ、いやされていく。
料理するのも、それにトロツキーたちを面接するのも悪くないかもしれない。はふはふ言い、汗を流しながら、熱々のピロシキを食べる。あっという間に作った分をすべて平らげる。わたしの腹は膨れ、唇は油でつやつやだ。火傷したのか、口内がひりひりと痛む。舌でつついて確かめると、あちこちの粘膜がびろびろにはがれていた。
ロシアの侵攻はすでに始まっている。