「JJ in RV」

 JJがキャンピングカーで過ごすようになって、すでに一ヵ月が経とうとしている。何の前触れも宣言もなく、JJは僕の目の前から消えて、車の中に閉じこもってしまった。

 僕たちは朝食の途中で、取るに足らないことを話していた。JJは特に機嫌が悪いようには見えなかった。ハムが乗ったトーストをかじり、ときどき具がたっぷり入ったスープをすするようにコーヒーを飲む。そして夜見た夢や将来のささやかな展望や天気予報、延々と外国で燃え続けている油田についてランダムに話し合っていた。
 突然JJは席を立ち、すっと部屋から出て行った。僕はトイレに行ったのだろうと思ってしばらく一人で朝ごはんを食べていた。しかしJJはなかなか戻って来なかった。ひょっとしてトイレで倒れているのかもしれない。その考えが頭に浮かぶとすぐに僕はトイレへと走った。だけどJJはいなかった。それから僕は家の中を隈なく探した。やはりJJの姿は見つからなかった。
 外に出ると家の前にキャンピングカーがあった。ドアの下にはJJのサンダルが脱ぎ捨ててある。これって誰のキャンピングカーなんだ、と思ったし、キャンピングカーって靴を脱いで入るものなんだろうか、とも思った。その二つの思いが混ざり合って、ものすごく腹が立った。僕はJJがキャンピングカーの中に入っていると信じて疑わなかった。やたらと大きくて角ばっている車に向かって大声で怒鳴る。JJの名前を何度も呼んだ。しかしJJは何の反応も示さなかった。キャンピングカーはしんとして、家の前から立ち去ることもなかった。僕は車のボディにぴたりと耳を当てた。しかし何も聞こえない。エンジンがかかっている様子もない。JJ以外に誰かいるのかもわからない。
 しばらくキャンピングカーに向けて怒鳴ったり、ねちねちと中の様子をうかがったりしていたのだけれど、何も起こらなかった。僕は散らばったJJのサンダルをキャンピングカーのドアの前に揃えて並べて、家の中に戻った。そして冷めたトーストをかじった。まだ朝食の途中だったのだ。
 JJは携帯も置いたままだった。朝食中に出て行ったのだから当然手ぶらだ。キャンピングカーの中にはいろいろなものが揃っているのかもしれない。僕はJJからの連絡を待った。だけどメールも電話もなかった。僕はJJが残したトーストとコーヒーを処分した。もう仕事に出かけなくてはならない時間だ。じりじりとした効率の悪いやり方で出かける支度をする。JJは戻って来ない。
 家を出てもキャンピングカーは目の前にあった。それは未来からやって来た物体みたいだ。キャンピングカーをこんなに間近で見たことがなかった。本当に誰が用意したんだろう。JJを連れ去るわけでもなく、JJ自身が立ち去るわけでもなく、車は家の前から一ミリも動いていない。僕はキャンピングカーに向けて、行ってくるよ、と怒鳴った。そのときだけ、ぷっぷー、とクラクションが鳴った。そのことで僕はまた腹を立てた。そして速足で家の前から去った。

 仕事から戻って来てもキャンピングカーは家の前にあった。だけどサンダルはまた散らばっていた。僕がいない間に家の中に戻ったのだろうか。キャンピングカーに向けて、ただいま、と怒鳴る。しかし返事はなかった。家に入ろうとすると玄関には鍵がかかっていた。もし僕の留守中に家に入ったのなら、JJは鍵を用意していた、ということになる。僕は他人の家に入るような気分で、鍵を開けておそるおそるドアを開けた。
JJがいる気配はなかった。ゆっくりと点検してみると、何やら変わった様子はない。だけどJJが戻って来ていない、と言い切れるほど僕は変化に敏感なわけでもない。いずれにせよ、JJはキャンピングカーの中にいるのだ。そう思うとやはり頭に来るけれど、少しホッとしていた。いきなり見たこともないキャンピングカーに立てこもったJJが戻っているとしたら、一体、何て話しかけたらいいんだろう。どうだった? 快適だった? なんて訊けるはずもない。
 JJの携帯電話は家の中にあった。こちらから何かを伝えることができればいいのだけれど、僕には怒鳴ることしかできない。万が一、キャンピングカーの中にこもった原因がこちらにあるとわかったとして、僕は謝るときにも大声で叫ばなくてはならないのだろうか。そう考えると気が重かった。僕にだって世間体はある。
 夕飯を食べようと思って冷蔵庫を開けたら、何もなかった。見事に食材も調味料も飲み物もごっそりとなくなっていた。僕は家の中で、叫んだ。オレの、オレの、オレの、プリンがねえー。僕の声は空虚にこだまする。
 
 JJは一ヵ月もの間、キャンピングカーで暮らし続けていた。僕は気まぐれで、行ってきます、ただいま、とキャンピングカーに向けて怒鳴ったし、JJも気まぐれで、クラクションで応えたり、応えなかったりした。
JJは僕が出かけている間に、ときどき家に戻っているようだった。それでも携帯電話は常に置いたままだった。僕は一度、携帯電話の履歴やらメールを確認してみた。特に不審な様子はなかった。キャンピングカーのこととか、その中にこもることについての話や、浮気や、浮気や、浮気や、そういったものについての兆候は見つからなかった。無理やりメールを削除したような不自然さもなかった。JJがキャンピングカーにこもってから、何度か友人知人からは連絡が来ているようだけれど、それらはさしさわりのない日常についてのやりとりに過ぎなかった。それでもどうして携帯を持っていかないのか、僕にはわからなかった。
食材もときどきなくなった。プリンは買ったそばからすぐ食べることを心がけていたのでもう被害はなかった。食べ切れなかったものを冷蔵庫に入れておくと、そういうものはほとんどJJに食べられていた。それでもキャンピングカーにはたっぷり食材があるはずだった。そうでなければ、僕が仕事に出かけている間、JJは外食しているのかもしれない。いずれにしてもお金に関しては問題がなさそうだった。家の中には隠し金庫があって、いざとなればJJはそれを使えるはずだ。それでも僕としては金庫の中身を確認したくなかった。もしもそのお金が尽きるまでJJがこもるのだとしたら、それはかなりの長期戦になる。

 一度、キャンピングカーからデリバリーピザの男が出てくるのを目撃した。家のすぐ近くまで帰ってきたところで、車から降りてくる人影を見かけ、慌てて駆け寄る。しかしピザの配達員はすぐにバイクで立ち去り、キャンピングカーのドアは閉ざされてしまった。そのときも腹が立って、車に向かって怒鳴った。中からは何の反応もない。家に入って、僕も負けずにピザを注文した。同じチェーンの店に電話をかけたのだけれど、やってきたのは小柄な女の子で、キャンピングカーについて尋ねても、何を言っているのかわからない、という迷惑そうな表情を浮かべるだけだった。そして僕はピザをやけ食いした。どうしてLサイズを頼んだのだろう、と思いながら、胃の奥に流し込むようにピザを食べた。食べ切れずに残したピザは、僕の留守中にJJが持ち去ってしまった。
 ピザ騒動の翌日、ただいま、と僕が怒鳴ると、JJがキャンピングカーの中から叫んだ。ピザ、ありがとう。あと、プリンごめんね。
 一ヵ月ぶりに聞いたJJの声は、やっぱりキャンピングカーからでも、これまでに僕がずっと聞いてきたものと同じような響きで、同じような口調で、同じようなトーンで、まさにJJのありがとうとごめんねそのものだった。僕はその声を聞いいて、思わず泣きそうになった。だけど実際に泣くすんでのところで我慢して、その代わりに腹を立てた。ピザとプリンのことで、涙を流してはいけないような気がしたのだ。

 僕はJJの姿を一ヵ月以上も見ていない。JJは確かに生きている。それがわかっているだけで、心配はしていない。ただかなりの頻度で腹が立つだけだ。そもそもこもっている理由がいつまで経っても明らかにされない。僕は自力でそれを突きとめる自信もない。
それでも僕はJJのことを愛しているのだろう。キャンピングカーの中にいつかは入ってみたいとさえ思い始めている。中に入ってこそ初めて訊けることもある。だけど、僕はその前に、へえー、意外と過ごしやすそうじゃん、などとバカみたいな言葉を口にするだろう。そのままキャンピングカーに乗って、2人で初めてのデートみたいにどこかへドライブできたらいいのだけれど、キャンプにでも出かけられたらいいのだろうけれど、あいにくJJも僕も、免許を持っていない。

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